本教の誕生

世界救世教早わかり 昭和251120


そもそも、本教誕生の理由は、何であるかというと、まず人類が数千年以前から孜々(しし)として作り上げたところの、近代文化を検討してみる時、外形的にはいかにも進歩発達し、絢爛(けんらん)たる容装は実に幻惑されるばかりである。これを観る現代人がいかに絶讃し謳歌して来たかはいうまでもない。ところが飜(ひるがえ)ってその内容をみる時これはまた余りにも意外である。およそ外形とは全く反対である事に気付くであろう。反対とはもちろん精神方面であって、いささかの進歩も見られない。むしろ古代人の方が勝っているとさえ思えるのである。今人間の心を善悪の計量器で測るとすれば遺憾ながら善より悪の方が多いであろう。

 

この事が、人類社会にいかに悪影響を与えているかは、けだし予想以上のものがあろう。見よ人類の最大苦である戦争も、病気、貧困、犯罪、天災等の忌わしい事も、少しも減らないどころか、反って増加の傾向さえ見らるるにみて明らかである。このように科学文化の進歩に伴わない精神文化のあり方は、不思議といってよかろう。しかもそれらの事実に対し、疑問を抱かないどころか、益々物質文化に酔い拍車を掛けているのである。世界各国の宗教家も、学者も、政治家も多くの智識人は、それに目醒めないのはどうした訳か、中にはそういう人達も少しはあるであろうが、いかんせんその根本が判らないため、止む事を得ないとし、むしろ人類本然の姿であると、諦めてしまっているようである。

そうして、人類欲求の中心は、何と言っても幸福であり、幸福を得んがためにはいかに智能を傾け、あらゆる手段を尽して来たかはもちろんである。(中略)

 

人類最初の念願であった幸福も、理想世界もいつしか忘れられ、遂に抜きも差しもならぬというのが現状であってみれば、文化が発達すればする程幸福は益々遠ざかるという皮肉極まる結果になり、ちょうどブランコと同様、一方が上れば一方が下るという訳である。これを一層解りやすく言えば最初精神文化をもって、天国を作ろうとしたのが、実現しそうもないので、今度は科学文化こそ、天国を作り得るものと思い込み、全力を傾けて進んで来たのである。ところが前述のごとく天国どころか反って地獄よりも恐ろしい人類破滅という段階にまで来てしまった。それが彼の原子爆弾の発見である。これ程の危うい時代となってもまだ目が醒めず相変らずの唯物科学崇拝である。一言にしてこれを言えば、唯心文化で失敗し、唯物文化でまた失敗して、まだ懲りないという悲惨事であるとすれば一体どうすればよいかという事こそ、全人類の切実な課題でなくてはならない。それは今までの過誤を認識して再出発する事である。すなわち精神に偏らず物質にも偏らない両々一致した中正的新しい文化形態であり、それによってのみ天国は実現するのである。(中略)

 

何しろ長い間さきに述べたごとく、精神か物質かどちらかの文化の経験しか持たない人類であってみれば、どちらにも偏らない中正的新文化など、容易に理解出来ないのは当然であろう。そうして精神文化の側の人は、吾らの表わしている現当利益をもって、物質のみを追求する低級信仰といい、ただ精神の満足のみを求めるのが高級となし、学問的に難解な字句を並べて独りよしとしている。

 

唯物主義の側の人の観方であるが、これはまた物質偏重のため、何でも眼に見える物以外は、ことごとく迷信と断じてしまう。もちろん、神の実在など信ずる余地もない。しかも始末の悪い事には、少なくとも日本の指導階級、いわゆる有識者と言わるる側の人々に、この種の人の多い事実である。(中略)ここで面白い事には、その時代の文化のレベルから、僅か頭角を抜いたくらいの説が出た場合、識者はそれを謳歌し称讃するものである。何となれば既成文化の教育を受けた人達はこの程度の説が最も理解しやすいからで、ノーベル賞受賞者の多くはこの種の学者である。ところが私の唱える説は、右の人達よりも層一層破天荒で一世紀も二世紀も進歩したものである以上、初めて聴く人や、既成文化に固まった人達は、唖然として進んで検討しようともせず、頭から極端な迷信として葬り去るのである。(中略)

 

何よりも一度本教の信者となるや、何人といえども一宗の教祖くらいの救いの力を現し得る事である。一信者にして奇蹟を現すなどは、日常茶飯事といってもいい、実に素晴しい現当利益である。そうして本教の教えによれば人生の妙諦を会得し、真理に目醒め、日常生活は改善され、心中明朗となり、確固たる信念の下、未来にわたってまでも透見されるので、真の安心立命を得るのである。何よりも本教信者は時の経るに従い、人相がよくなる事である。というのは浄血者となる以上、健康は増進し、前途の不安は消え、品性も向上するので、世間の信用は高まり、人々から敬愛されるという有徳者となるからである。そうして本教のモットーである地上天国を造るその基本条件としては、まず個人の向上であり、天国人たる資格を得る事である。このような人間が増えるとしたら、世界は個人の集団であるから、やがては地上天国出現となるのはもちろんである。